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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8858号 判決 1974年4月18日

原告

草薙卯一

ほか一名

被告

湯野恵

ほか一名

主文

一  被告湯野恵は原告らに対し、各壱百拾壱万七千四百六拾円および右金員に対する昭和四五年三月二六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告山春林産株式会社に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中原告と被告湯野恵との間においては、原告に生じた費用の弐分の壱を同被告の負担とし、その余を各自の負担とし、原告と被告山春林産株式会社との間においては全部原告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら「被告らは各自原告らに対し、各一、一一七、四六〇円および右金員に対する昭和四五年三月二六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二原告らの請求原因

一  事故発生

(一)  日時 昭和四五年三月二五日午前一時頃

(二)  場所 山梨県韮崎市穴山町先国道二〇号線路上

(三)  加害車両 普通貨物自動車(足立一な五五六一号、被告湯野恵運転、以下本件トラツクという。)

(四)  態様 亡草薙邦夫(以下邦夫という。)は、東京農工大学工学部の自動車部に所属しているが、右自動車部は昭和四五年三月二四日から同年四月六日までの予定で部員二三名が自動車五台に分乗し、紀伊半島・四国一周の春季遠征ドライブ(以下この一行を遠征隊という。)中、右事故発生日時頃、右場所の道路左端に五台の自動車を停車させていた。邦夫は、前方から三台目と四台目の間に立つて四台目の車両のエンジンの修理をしていたところ、被告湯野の運転する本件トラツクが、右遠征隊の最後部車両に追突し、最後部車両から順次前の車両に玉突き追突させたため、邦夫は車両間にはさまれて頭部・額面・前胸部強打、頸椎・肋骨骨折の傷害を受け、約一〇分後に腹腔内出血により死亡した。

二  責任原因

(一)  被告湯野は、自動車運転者として、前方を注視し進路の安全を確認した後進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と徐行せずに進行した過失により本件事故を発生させたから、民法七〇九条による責任を負う。

(二)  被告山春林産株式会社(以下被告会社という。)は、自社に運送部門がなかつたので、道路運送法による自動車運送事業免許を受けていない特定の運送業者数名に自社の商品運送にあたらせていた。被告湯野は、前記免許を受けずに本件トラツクを使用し、被告会社の指図監督の下で昭和四五年一月頃から被告会社の運送業務に継続して従事していた一人で、遠距離運送の場合は一回の運送につき二、三日を要するにも拘らす、同年二月頃には少なくとも月一〇回位も被告会社の商品運送に従事し、本件事故の際も被告会社の商品を東京の被告会社から長野県上伊那郡高遠町まで運送途中であつた。結局、被告会社は、本件トラツクを業務用に使用し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任を負う。

三  損害

(一)  邦夫の逸失利益ならびに原告の相続

邦夫は、昭和二四年六月六日生まれの事故当時満二〇才の健康な男子で、東京農工大学工学部工業化学科一年在学中であり、本件事故にあわなければ、昭和四八年三月には右大学を卒業して大企業に就職し、二三才から六〇才までの三七年間就労可能とみられ、その間の収入の額は、労働省労働統計調査部作成昭和四五年度賃金構造基本統計調査の全産業全年令大学卒男子労働者の平均給与額である年額一、三一四、〇〇〇円を下らないものと考えられ、その間の生活費は収入の五割であるから、同人の純利益は年額六五七、〇〇〇円である。右を基礎としてホフマン式により年五分の中間利息を控除して算出した邦夫の逸失利益の現価は一二、四二四、九二一円となる。

原告らは、それぞれ邦夫の父母として、邦夫の逸失利益の賠償請求権を法定相続分に応じその二分の一である六、二一二、四六〇円ずつを相続した。

(二)  葬儀費

原告らは、邦夫の事故死に伴い、葬儀費として各一〇〇、〇〇〇円ずつの支出を余儀なくされた。

(三)  原告らの慰藉料

原告らは、邦夫に将来を託していたが、一瞬にして邦夫の生命をたたれ、今後の余生を生きて行く希望を失うほど甚大な精神的苦痛を受けたが、これを慰藉するには、各一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(四)  損害の填補

原告らは、邦夫の事故死に伴い、自賠責保険から各六、六九五、〇〇〇円ずつを受領し、これを原告らの前記損害にそれぞれ充当した。

(五)  よつて、原告らは、それぞれ被告ら各自に対し、各一、一一七、四六〇円および右金員に対する事故発生の日の翌日である昭和四五年三月二六日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三被告湯野の答弁および抗弁

一  請求原因一の事実は認める。

同二(一)の事実は否認する。

同三(一)の事実中、原告らの相続関係は認め、その余は不知。

同三(二)(三)の事実は不知。

同三(四)の事実は認める。

二(一)  被告湯野は、本件事故現場の約一〇〇メートル手前で遠征隊の駐車中の最後尾の車両を発見し、これを追越すため約九二メートル手前で右側に車線変更し、約七〇メートル手前まで進行して、はるか前方に対向車両があつたので、右駐車中の車両を追越した後に右対向車両と行き違うことが可能と判断した。同被告は更に右側車線を約三〇メートル進行した地点で、駐車中の車両が一台でなく三、四台であり、右対向車両もかなり加速して接近して来るのを認め、駐車中の数台の車両を追越した後に右対向車両と行き違うことは到底不可能と判断し、本件トラツクを左側車線に戻して対向車両と行き違つた後に右駐車車両を追越そうと考え、直ちに時速約五〇キロメートルに減速しながら左側車線に移行し、その直後対向車両と行き違つた。同被告はこの際、対向車両の前照燈が上向きであつたため、前照燈に眩惑されて右駐車車両を見失い、盲目現象を排除するため一瞬首を横に振り、その直後前方を見たところ、右駐車中の最後尾の車両の約一三メートルの地点に接近していたので、急制動を踏みながらハンドルを右側に切つたが間に合わず、右駐車中の最後尾車両の後方右側に本件トラツクの前部左側を衝突させたものである。

以上のとおり、被告湯野は、前方を注視していたが、対向車両の前照燈による盲目現象を避けることができず本件事故を惹起させたものであるから、被告湯野には過失がないというべきである。

(二)  仮に、被告湯野に何らかの過失があり損害賠償債務を負うとすれば、過失相殺を主張する。すなわち、右遠征隊は、本件現場が交通頻繁な上下各一車線の狭い幅員の国道で、現場付近が駐車禁止地域であり、街路燈などの照明設備もないことを認識しながら、駐車中である旨の信号を出すことなく、五台の車両を約五〇メートルの間に縦列駐車させていた。しかも現場から二〇数メートル先には、多数の車両が容易に駐車できる空地があつた。それ故邦夫らの遠征隊にも五〇パーセント近くの過失があるというべきであり、たとえ一五パーセントの過失があつたとみても、原告らの損害は既に填補されているから、原告らの本訴請求は理由がない。

第四被告会社の答弁および抗弁

一  請求原因一の事実は不知。

同二(二)の事実のうち、本件事故当時、被告湯野が被告会社の木材を運送中であつたとの事実は不知、その余は否認する。被告会社は、個別的運送契約にもとづき、被告湯野に対したまに木材の運送をさせたことはあるが、被告会社がその指図および監督の下に被告湯野を継続して被告会社の商品運送にあたらせ、本件トラツクの運行を支配し、その運行利益を得たことは全くない。

同三(一)の事実中、原告らの相続関係は認め、その余は不知。

同三(二)(三)の事実は不知。

同三(四)の事実は認める。

二(一)  被告会社は、大口取引の際、仕入れ先から転売先に対し仕入れ先のトラツク等で商品を直送させることが多く、自らのトラツク等で運送することは比較的少ないが、その他の場合には自己所有のトラツクで販売商品を運送したり、数社の特定運送業者に運送をさせてきた。

被告湯野は、その肩書地において、独立して湯野商会なる商号を用い、顧客からの依頼に応じ商品運送業を営む者であり、被告会社とは互に独立した運送依頼者と運送業者との関係に立つに過ぎず、専属関係またはこれに類似する関係ではないから、被告会社から商品運送の依頼を受けてもこれに応ずる義務はない。被告湯野から運送の受注申込があつても、被告会社において他に依頼したこともある。

被告会社は、被告湯野に対し、一定期間につき運送量にかかわらず一定の運送賃収入を保証したことはなく、被告湯野を常勤させる等のこともなく、被告湯野に対し、商品の運送コース等運行につき、指示監督したこともない。

被告会社の商品の運送範囲は、実働一日で運送できる程度であるが、被告湯野において営業成績を挙げるため、夜間から早朝にかけて運行すれば二日に及ぶことはあり得る。

(二)  仮に、被告会社が運行供用者であるとすれば、被告湯野主張の如き邦夫の過失を考慮すべきである。

また原告らは、邦夫の事故死に伴い、既に一三、三九〇、〇〇〇円を受領し、その損害の填補を受けている。

第五証拠〔略〕

理由

第一被告湯野に対する請求

一  事故発生

邦失が、昭和四五年三月二五日午前一時頃原告ら主張の場所において、停車中の遠征隊の五台の車両のうち、前方から三台目と四台目の車両間に立つて四台目の車両のエンジン修理をしていたところ、被告湯野の運転する本件トラツクが、右停車中の最後尾の車両に追突し、最後尾車両から順次前の車両に玉突き追突させたため、邦夫は車両間にはさまれて原告ら主張の傷害を受け死亡したことは、当事者間に争いがない。

二  責任および過失相殺

(一)  被告湯野の責任

1 〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件道路は、通称甲州街道といわれる国道二〇号線で幅員約八メートル、上下一車線となつている。現場付近はほぼ直線であるが、東京方面から長野県塩尻市方面に向けやや登り坂となり、道路両側は約二メートル低くなつた田圃で、本件道路の現場付近は駐車禁止地域に指定され、街燈設備はなく、交通量は多い方である。

(2) 邦夫は、同大学工学部の二三名の自動車部員と共に同月二四日午後八時三〇分頃、乗用自動車四台、ライトバン一台の計五台に分乗して東京都小金井市の同大学工学部を出発し、長野県塩尻市から名古屋を経て紀伊半島・四国一周の春季遠征ドライブ中、本件現場に至り、塩尻市方面に向け道路左側端に右五台の車両を、先頭車両は二番目の車両と約一五メートル離し、後方の四台の車両を約二メートル間隔にして停車させ、邦夫は前方から三台目と四台目の車両間で四台目の車両のエンジンを修理していた。

右五台の車両が本件現場に停止していたのは、車両整備と走行一時間毎に実施した運転者の交代とのためであつた。

(3) 被告湯野は、被告会社の注文により、本件トラツクを運転し、東京から長野県上伊那郡高遠町へベニヤ板を運途する途中、現場に至り、遠征隊の最後尾車との衝突現場約一〇〇メートル手前で、進路前方に停車中の遠征隊の最後尾車両のテールランプを発見し、これを追越そうと考えて対向車線に入り、時速約五〇キロメートルの速度で約二〇メートル走行した地点で、はるか前方に対向車両の前照燈を認めた。同被告は更に約一〇メートル進行した地点(右衝突現場の手前約七〇メートルにあたる。)に至り、前方の停車車両が五、六台で、右対向車両の速度もかなり速いように思われたので、停車車両を追越した後に対向車両と行き違うのは無理だと判断し、さらに約一〇メートル進んだところで本件トラツクを左側の車線に移行させ、その直後右対向車両と行き違つた。その際、対向車両の前照燈が上向きであつたため同被告はこれに眩惑されて一瞬前方注視ができない状態になつたのに、そのままの速度で進行し、前方を確認し得る状態に回復した瞬間約一三メートル前方に右停車車両の赤いテールランプが見えたので衝突の危険を感じとつさに急制動の措置をとるとともにハンドルを右に切つたが間に合わず、右停車中の最後尾車両の後方右側に本件トラツクの前部左側を衝突させ、停車車両五台のうち四台を順次玉突き追突させた。

遠征隊は、邦夫が死亡したほか、一八名が重軽傷を負い、停車車両の前方から五台目と四台目が本件道路から田圃に転落して大破し、三台目と二台目が小破した。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 右認定事実によると、邦夫の所属する遠征隊が駐車禁止地域で約四〇メートルの距離範囲に五台の車両を縦列に停車させていたことは果して駐車に該当する程の継続的な車両停止にあたるか否かはいまだ断定できない。しかし、これがたとえ運転者交代の短い時間の停車であつたとしても、玉突き衝突の一因となつたことは否めない。それにしても、被告湯野は、当時深夜で街燈設備がなく暗かつたとはいえ、現場は直線道路であり、右停車車両は赤いテールランプを点燈させていたので数台の停車車両の存在を容易に認めることができ、同被告も約一〇〇メートル後方から右停車車両を認識し、そこから約二〇メートル進行した地点では対向車両の接近して来るのも認識し、さらに約一〇メートル進行した地点、即ち右衝突現場から約七〇メートル手前では停車車両が数台あることを確認した以上、自動車運転者としては、停車車両の右側方を追越すことはできない状況にあることを容易に判断し得る状況にあつたという外はないから徐行ないし減速するなどして、対向車ないし停車車両との衝突を未然に防止すべき義務があるのにこれを怠り、漫然と同速度で走行したため、本件事故を惹起させたものというべきである。

被告湯野は、右対向車両の前照燈に眩惑されて盲目現象となり、そのため停車車両まで約一三メートルの至近距離に接近したもので、盲目現象を避けることができなかつたから責任がない旨を主張する。よつて考察するに、車両の運転者は、車両等が夜間、他の車両等と行き違う場合において、他の車両の交通を妨げるおそれがあるときは、光度が一万カンテラをこえる前照燈をつけている車両の場合、前照燈の光度を減じ、若しくはその照射方向を下向きとし、又は車両の保安基準に関する規定に定める補助前照燈を備えるものにあつては補助前照燈をつけて前照燈を消す等の燈火を操作しなければならない(道路交通法五二条、同法施行令二〇条一号)ことはいうまでもない。従つて、対向車両が右規定に違反しそれによつて事故が発生した場合には、同車も不法行為責任を問われることがあり得るが、そうであつても、この対向車両によつて眩惑された運転者は、進路前方の安全確認ができなければ直ちに停車する等の措置によつて事故の発生を未然に防止すべきであり、同被告も右の措置に出れば本件事故を避けられたと認められるから、同被告の右主張は採用できない。

よつて、被告湯野は、民法七〇九条により、よつて生じた損害を賠償する義務を負う。

(二)  過失相殺

〔証拠略〕によれば、遠征隊は同大学の自動車部の一、二年生で構成され、遠征の趣旨は一年生につき運転技術の集中的向上および実際的経験を通しての交通安全の啓蒙、二年生につき指導的立場に立つ者としての自覚の強化にあり、従つて隊長、副隊長、車両係等の役員が決められていたが、邦夫は一年生で役員ではなかつたこと、隊員は計画に基づき役員の指示に従つて行動することになつていたこと、邦夫は当時車両の運転者ではなかつたことが認められる。

右事実および前記認定の事実によると、邦夫において何らかの落ち度があつたとは認められず、他に邦夫に過失があつたと認めるに足りる証拠はないから、原告らの本件損害賠償額を相殺しなければ公平に反するとはいえず、過夫相殺の主張は採用しない。

三  損害

(一)  邦夫の逸失利益ならびに原告らの相続

〔証拠略〕によれば、邦夫は、昭和二四年六月六日生まれ事故当時二〇才の健康な男子で、東京農工大学工学部工業化学科一年在学中であつたことが認められる。

してみると、邦夫は、本件事故にあわなければ、右大学を卒業する昭和四八年四月から六七才に達するまでの四四年間就労可能であつたと推認することができ、その間、邦夫は、総じて平均してみると、労働省労働統計調査部作成賃金構造基本統計調査(昭和四七年)第一巻第二表全産業全規模全年令による新制大学卒男子労働者の平均給与額(年額一、六九五、〇〇〇円)を下らない収入を得、その生活のため等の諸経費として、その収入の五割の支出を余儀なくされるものと推認するのを相当とする。

これを基礎として、邦夫の逸失利益の昭和四五年三月二六日の現価を、同日以降本判決言渡後の昭和四九年六月六日までは単利(新ホフマン式)、その後は複利(修正ライプニツツ式)により年五分の割合による中間利息を控除して算定し、更に、右死亡時から右就労開始に至るまでの三年間の教育費を多めに月額二〇、〇〇〇円(年額二四〇、〇〇〇円)を要するものとし、これについてもホフマン式によつて年五分の中間利息を控除して計算して、これを右逸失利益の現価から控除しても、原告ら主張の一二、四二四、九二一円を下廻ることはない。

原告らが邦夫の相続人で他に相続人がないことは争いがないから、原告らは控え目に見ても、邦夫の右債権をそれぞれ相続分に応じ二分の一ずつ即ち各六、二一二、四六〇円宛相続により取得したというべきである。

(二)  葬儀費

原告らが邦夫の葬儀費として、少なくとも各一〇〇、〇〇〇円を下らない支出を余儀なくされたことは、前記の事実関係から優に推認される。

(三)  原告らの慰藉料

前記認定の本件事故の態様、邦夫の年令、将来等その他本件に顕われた一切の事情を考慮すると、原告らの蒙つた精神的損害に対する慰藉料の額は、控え目に考えても原告ら各自につき一五〇〇、〇〇〇円を下らない。

(四)  損害の填補

原告らが邦夫の事故死に伴い、自賠責保険から各六、六九五、〇〇〇円を受領したことは争いがないから、原告らの前記損害に各右金額を充当する。

四  結論

以上によつて明らかなように、原告らは被告湯野に対し、各自一、一一七、四六〇円および右金員に対する事故発生の日の翌日である昭和四五年三月二六日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める権利があるから、原告の同被告に対する請求は理由があり認容すべきである。

第二被告会社に対する請求

一  被告会社の運行供用者性

(一)  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

1 被告会社は、南洋材、米材の原木、建材および合板の仕入れ、販売を業とし、事故当時、資本金三五、〇〇〇、〇〇〇円、従業員二五、六人、保有車両として乗用車一〇台位、二トン車一台を擁する会社であつて、都内での小口の配達を行なうことはあつたが、大口注文の配達や都外への運送のための車両を有していなかつた。

被告会社の木材等の販売先は、東京都内もあるが、都外の材木屋、建材屋も少なくなかつた。販売木材等は、被告会社の仕入れ先から販売先に直送されることも多く、その場合には被告会社は運送に関係しないが、被告会社から都外へ運送するには利根川運送有限会社(以下利根川運送という。)を主とし(ほぼ九割)、そのほか湯野商会などの四、五社とか、日本配送センターの紹介による都外から都内に来た車両の帰途などを利用していた。ただ、被告会社が運送依頼をした業者で、自動車運送事業免許を受けない者(即ち、白ナンバー)は被告湯野だけであつた。

2 利根川運送は、トラツク一〇台位を所有し、その半数近くを被告会社に常時使用させていた。

3 被告湯野は利根川運送退職後の昭和四四年一〇月末頃友人と二人で湯野商会を開業したもので、経営の実権は被告湯野が握つており、湯野商会と表示した本件トラツクを含め車両二台を所有し、同年一一月末か一二月頃から被告会社の木材等の運送をも請負うようになつたが、前記のとおり無免許であつた。

被告湯野は知人関係を頼つて事業を営んでいたので、取引先も限定されて、被告会社を含めせいぜい四社前後であり、その中でも被告会社の仕事量は少ない方であつた。

4 被告会社は被告湯野とは利根川運送にいた頃から顔見知りであつたので、同人の懇請に応じ、利根川運送に請負わせることができないときには被告湯野にその都度運送を依頼し、被告湯野がこれを断わることもあつた。その運送費は市場価格に従い運送距離によつた。被告湯野は運送方法につき被告会社から指示されることはなく、運送範囲は片道で四、五時間の距離が多かつた。しかし、被告湯野が被告会社の木材等の運送を引受けるのは月によつて異なり、多い月で一〇回位、全くない月もあり、これまでには昭和四五年二月が最も多かつた。被告湯野は本件事故の際、被告会社の注文によりベニヤ板を東京から長野県上伊那郡高遠町まで運送する途中であつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ロ 以上の事実により明らかな被告会社と被告湯野との業務上の関係とくに被告会社の本件トラツクに対する関係によれば、被告会社が本件トラツクの運行供用者であると判定するにはいまだ十分でないといわざるを得ない。このほかに本件トラツクの管理、各種名義、指揮監督関係等において被告会社が運行供用者であると判定するに足りる事情は顕れていない。

二  結論

原告の被告会社に対する請求は以上説明のとおり理由がないからこれを棄却すべきである。

第三むすび

以上のほか訴訟費用の負担について民訴法第八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 沖野威 田中康久 玉城征駟郎)

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